史跡散策について

原始から古代にかけての大遺跡は国指定史跡の大古墳をはじめその多くが姿をとどめています。そして、各大名により明治維新となるまで城下町として、また、日光西街道(壬生通り)の宿場町として栄え、今日の壬生町の基礎が築かれました。
過去と現在が交差する町並を、きらきら木漏れ日をたどって散策してみませんか?

🏯 壬生・藤井周辺 🏯

慈覚大師生誕の地として有名な紫雲寺壬生寺をはじめとして、三代将軍家光公ゆかりの興光寺、壬生文化の揺籃城址公園、全長47mの牛塚古墳など壬生町の魅力を凝縮した人気の散策コース。まずはこのコースからいかがですか?

 

1 雄琴(おこと)神社 壬生町通町18-55

寛治5年(1091)の創建と伝えられ、祭神は天照大神・天武天皇・舎人親王。壬生の初代城主・壬生彦五郎胤業が、その祖である小槻今雄公を合祀して社号を改めました。天和5年(1685)、時の城主・三浦壱岐守が社殿を造営しています。9百年にわたり壬生の総氏神として広く篤い信仰を集めています。銅製の鳥居は県指定文化財になっています。

2 興光寺(こうこうじ) 壬生町通町7-13

應永年間(1394~1428)、良納上人によって福和田に開かれ、慶安4年(1651)徳川家光公のお骨を日光に送納するに先立ち、本陣松本家の隠居所であった現地に移り、通夜が行われた寺です。この時幕府から、「葵」の紋が贈られています。子育て呑龍上人像を尊置し、他に、戊辰戦争の政府軍官修墓地などがあります。

3 東雲(しののめ)桜堤 壬生町大字壬生

「明け方」を意味する「東雲<しののめ>」と名付けられた橋周辺には、250本のソメイヨシノが咲き誇ります。桜の時期には多くの花見客が訪れ、夏には鮎を追う釣り人たちで賑わいます。下野近代医学発祥の地であり、江戸時代には橋下流に「河岸」が設けられ、舟運の要衝でもありました。

4 愛宕塚古墳 壬生町大字壬生甲字三好町

国の指定史跡となっている前方後円墳です。墳丘は二段に造られ、全長が約77m、高さが約5mあります。墳丘のまわりには、逆盾形に堀と土塁が廻っています。なお、前方部に祀られている愛宕神社は、元禄の頃(1694)、壬生城主松平輝貞が壬生城の鬼門除けとして建立したと伝えられています。

5 車塚古墳 壬生町大字壬生甲字車塚

墳丘は三段からなり、その直径は80mを越える県内屈指の大円墳です。塚の周りには、深い堀と土塁が廻り、古墳が造られた当時の姿を現在に留めています。墳丘南側には、巨大な凝灰岩で造られた横穴式石室が口を開けています。車塚古墳は、壬生地内の大型古墳の中では、最後の権力者のお墓と考えられています。

6 牛塚古墳 壬生町壬生甲字車塚

牛塚古墳は、東側にある車塚古墳とともに、国の指定史跡となっています。墳丘の全長は47mほどあり、上から見た形が帆立貝に似ていることから、帆立貝型の前方後円墳と呼ばれています。現在、堀のほとんどは埋もれていますが、近年の発掘調査により、車塚古墳同様深い堀と土塁が廻っていたことが確認されています。

7 壬生寺 壬生町大師町11-17

天台宗の第三世座主・慈覚大師円仁(794~864)のお生まれになった所として有名です。境内には、大師ご誕生の折にその水を使ったといわれる「産湯の井戸」や、樹齢約4~5百年、高さ22m、周囲5.1mにも及ぶ天然記念物の「大いちょう」などがあります。

8 常楽寺 壬生町本丸1丁目1-30

壬生初代城主・壬生筑後守胤業公が、室町中期寛正3年(1462)創建した曹洞宗の寺。江戸中期から、壬生城主・鳥居家の菩提寺となりました。豪商加藤作太夫一族の墓、御典医(蘭方医)斎藤玄昌先生(二宮尊徳先生の主治医)歴代の墓等があります。開山手植えの糸ひばは、樹齢約550年。

9 精忠神社 壬生町本丸1丁目9-13

江戸時代の正徳2年(1712)から明治維新まで、代々壬生藩主であった鳥居家の先祖・鳥居元忠公を祀る社です。境内の「畳塚」は、元忠公が伏見城で自刃した際血を流した畳が、江戸城伏見櫓階上におかれていたが、明治維新により城を明け渡されるときに、その畳を埋めたとされます。

10 城址公園 壬生町本丸1丁目8番

壬生城の本丸跡に整備された公園で、おしゃれなブロンズ像や噴水が、訪れた人達の心をなごませてくれます。壬生城は、文明年間(1469~87)壬生綱重の築城といわれ、明治維新まで代々領主の本拠となっていました。公園内には、中央公民館・図書館・歴史民俗資料館があり、教育文化の拠点になっています。

11 豊栖院 壬生町本丸2丁目14-7

当院は、嘉永年間(1848~54)伊勢屋火事の大火に遭い、堂・塔・伽藍・旧記・古画類をすべて焼かれました。文久2年(1862)、当院24世・雲外和尚の手によって現在の本堂が建立され、昭和55年(1980)に客殿、60年(1985)には庫裡が建てられました。壬生藩のお抱え絵師平出雪耕(1749~1823)を顕彰した「雪耕山人の碑」があります。

12 興生寺 壬生町本丸2丁目15-31

平安時代の開創と伝えられる真言宗の古刹。壬生城主代々の祈願所でしたが、今は庶民の憩える静かな境内に、元禄年間(1688~1703)建築の本堂、薬師堂などがたたずんでいます。下野三十三観音霊場の一つで、町指定天然記念物の榧(かや)の大樹もあります。平成15年、本堂は老朽化が目立つため修復された。

13 愛宕神社 壬生町表町4-15

愛宕様の祭神は、伽具土の神といい、火を司る神様です。京都市の愛宕神社を総本山として、全国に祀られています。当町でも元禄時代頃(1692~95)、城主・松平輝貞公が、火防の守りとして愛宕神社を造営されました。表町5カ町の守り神として、親しまれています。8月24日の例祭には、子供相撲が奉納されます。

14 壬生一里塚 壬生町表町8番

江戸時代に、江戸日本橋を基点に36町を1里(約4㎡)とし、街道の両側に設けられた塚で、塚の上には主に榎が植えられました。壬生一里塚は、日光西街道に設けられた一つで、江戸日本橋より23里(約92㎡)の地に当たります。国指定史跡。

15 縄解地蔵〈なわときじぞう〉 壬生町駅東町6-23

壬生に城を築いた小槻彦五郎胤業が、京都から勧請して祀った地蔵尊。「縄解」とは苦しみから解放されることで、信仰によって罪ある者さえ解放されたと言い伝えられ、京都洛西の壬生寺「縄目地蔵菩薩」、三重県名張市の「延命地蔵菩薩」とともに、「日本三体地蔵尊」と呼ばれています。毎月4月下旬に例祭があります。

 

🏯 七つ石・羽生田・稲葉周辺 🏯

羽生田地区の茶臼山古墳と富士山古墳からは、県内最大級の円筒埴輪や国内でも最大級の家形埴輪などが出土しています。
稲葉地区は自然あふれる散策コースとなっています。

コースの見所紹介

散策コース

1 嘉陽が丘ふれあい広場 壬生町大字上稲葉1056-8

自然に恵まれた中での活動拠点広場。宿泊研修施設やバンガローを備えたキャンプ場、体育館や星空を観測できる天体望遠鏡等がありアウトドア気分が満喫できます。

2 高尾神社 壬生町大字上稲葉

建礼門院に仕える侍女であった高尾は、平家没落とともに仕えをやめ生国因幡国へ帰る途中、病にかかり金売り吉次に助けられました。その恩に報いるため後を追って稲葉に来たがすでに死んでいたことを知り、弔いながら上稲葉に住むようになりました。高尾は死に際し、持っていた宝剣を埋め、因幡の高尾明神を勘請するよう遺言をしました。

3 梅林天満宮 壬生町大字上稲葉

太宰府に送られた菅原道真公を祀った神社で、毎年2月下旬には例大祭が行われ、合格祈願や学業成就の願をかけに近隣の人々が訪れる。また、太々神楽や五段囃子が奉納され、露天商なども出て大変賑わいます

4 親抱きの松 壬生町大字上稲葉

南北朝の頃、宇都宮城主公綱の家来、南条左衛門が戦死し、妻登美留は宇都宮に預けた娘を訪ねて稲葉まで来たが病に倒れてしまいました。村人の知らせに娘が駆けつけたとき、母はすでになくなっていた。娘は母の霊を弔い念仏三昧に明け暮れていたが、悲しみのあまり病になり母の後を追うように死んでしまいました。村人はこの母子を弔うため墓を築き、松の木を植えましたが、いつしか娘の墓に植えた松が、母の墓に植えた松を抱くように生い茂ったという言い伝えがあります。

5 市兵衛八幡 壬生町大字上稲葉

壬生城主加藤氏の時代、領主の重税に堪えかねた農民の代表、上稲葉の賀長市兵衛、下稲葉の石井伊左衛門、壬生の須釜作十郎は、税の軽減を領主に訴えたが果たせず、更に江戸に出て将軍に直訴しようとしたが捕らえられ、賀長と石井は打ち首となりました。村人は、市兵衛の義侠心に感じ、市兵衛八幡として神にまつりました。

6 鹿島神社 壬生町壬生甲字車塚

平城天皇の時(今から約1,200年前)常陸一の宮(官弊大社)鹿島神宮より勧請し、1181年(治承5年)3月に本社再建されました。明治40年に神饌弊帛料供進指定の社となり、明治41年鹿島無格社、八坂神社の祀を許されました。境内東方には子宝の石が祀られてあり、お参りすると子宝を授かると言われています。

7 鯉沼九八郎翁の碑 壬生町大字上稲葉933-1

明治維新後、自由民権運動が盛んになり、本県では県南を中心にその運動が起こり、下稲葉の鯉沼九八郎らがその先鋒となった。明治17年栃木県庁が宇都宮に移され、開庁式が行われることになったが、九八郎らは三島県令らを暗殺する計画をたて、九八郎は爆弾を製造中暴発して左腕を失いました。(加波山事件)

8 稲葉一里塚 壬生町大字上稲葉1563-2

源九郎義経を鞍馬山から連れ出して、藤原秀衡のもとに送り届けた豪商で、この稲葉の地で生涯を終えました。また、江戸時代『奥の細道』で知られる松尾芭蕉に随行した曽良の日記にも記されています。

9 金売り吉次の墓 壬生町大字上稲葉1563-2

源九郎義経を鞍馬山から連れ出して、藤原秀衡のもとに送り届けた豪商で、この稲葉の地で生涯を終えました。また、江戸時代『奥の細道』で知られる松尾芭蕉に随行した曽良の日記にも記されています。

10 母衣掛けの松 壬生町大字七ツ石

八幡太郎源義家が奥州安部氏を征伐に向かう途中、七ツ石で一本の松を植えて戦勝祈願をし、後、源義経がここを通ったとき、その松の木に母衣を懸けて休んだので、母衣掛けの松と言われるようになりました。母衣というのは、鎧の上にかけて敵の矢を防ぐ役目をする布です。

11 椿森と皇室庵 壬生町大字七ツ石

昔ある一族がこの地を通りかかった際、椿の花が満開で美しかったのでここで休息をとりました。村の人々は天皇家の身内と思い、一族が休んだところを「皇室庵」と呼び、椿の花が咲いていたところを「椿森」と名付けました。また皇室庵には壬生家最後の城主壬生義雄の皇室(未亡人)が庵を結んだことからこう呼ばれたという説もあります。

12 下馬木溝渠の碑 壬生町大字上稲葉

下馬木神明宮の境内にあり、下馬木地区の田に水を引くため、明治初年下馬木の人々が上稲葉の峰山の下を掘り抜いてトンネルを造り、黒川の水を引いた大工事の記念碑です。溝渠の長さは1,561間(2,838m)にも及びます。

13 芭蕉句碑 壬生町大字福和田

句碑は、芭蕉塚建立を願い、志半ばで世を去った黒川舎古蘭(大橋甚右衛門)の遺言により、安政4年(1857)4月に同行の仲間により建立されました。句の表には俳人松尾芭蕉の句「久た比れ亭宿可る頃や富じの花」と刻まれています。また、碑の裏には古蘭の辞世の句が刻まれています。「いざゆかん 花は冥土 の道すがら」

14 羽生田城跡 壬生町大字羽生田

壬生城主、壬生氏によって築かれ、今市の板橋城などと共に支城となっていました。最後の城主は藤倉勘斎でしたが、豊臣秀吉の小田原攻めの時、壬生城主、壬生義雄は北条氏につき戦死し、壬生氏は滅亡、羽生田城も廃城となりました。今城跡には羽生田小学校があり、北側には三重の堀跡があります。

15 歓喜院の楼門 壬生町大字羽生田2169

歓喜院は嘉応2年(1170)、南都興福寺の功智上人により創建された真言宗智山派の寺で、その楼門は三間一戸の大きさを持ち、現在は銅板葺きとなっている屋根も当初は茅で葺かれていました。楼門は江戸時代の工匠永野万衛門の手により建てられました。

16 富士山古墳 壬生町大字羽生田

栃木県で最大の円墳。墳丘は直径86mの墳丘第一段上に直径55mの第二段がのっています。高さは約12m。墳頂部からは大型の家形埴輪や盾形の埴輪などが出土しています。とくに、家形埴輪は高さが150cmをこえる、国内でも最大級の埴輪です。

17 茶臼山古墳 壬生町大字羽生田

丘陵の先端部に築かれた大型の前方後円墳です。墳丘の周囲には完全な形で深い堀と土塁がめぐっています。古墳の総全長は約140mに達し、その大きさに圧倒されます。明治年間の発掘により家形埴輪などが出土しています。

18 桃花原古墳 壬生町大字羽生田

三段に造られた直径63m・高さ5mの円墳。近年の発掘により、石室の入口の前面に広がる河原石で積上げられた『前庭部』といわれる祭りの場が、完全な形で出土しています。古墳からは金銅張りの馬具や武具類などが出土しています。

19 長塚古墳 壬生町大字羽生田

全長77mの前方後円墳。南側を走るバイパスから眺めると墳丘全体を見渡せます。現在、墳丘の周囲は畑となっていますが、盾形に堀がめぐっていることが確認されています。羽生田地区の大型古墳は、富士山古墳→茶臼山古墳→長塚古墳→桃花原古墳の順に造られたと考えられます。

 

🏯 上田・安塚周辺 🏯

小林神社の33年に一度開帳される薬師三尊像や、美しい広がりを見せる天神沼など、いろいろとバラティーに富んだ見所が多い、木立の中の自然豊かな散策コース。昔人の息遣いが感じられてきます。

コースの見所紹介

1 獨協医科大学─銀杏並木 壬生町大字北小林880

昭和48年4月、獨協医科大学が開校。翌49年獨協医科大学病院が開院されました。 大学構内の並木には約188本の銀杏が植えられています。秋に黄色く色づいた銀杏並木は入院患者はもとより、地域の人にも喜ばれています。

2 小林神社 壬生町大字北小林

本像は、33年に一度開帳される秘仏の薬師三尊像です。厨子内には文久2年に開帳されたことを示す墨書銘もあります。薬師座像は、左手を膝上に置いて薬壺をとり、右手は五指を軽く伸ばし、蓮台上に結跏趺坐し、両側に日光・月光菩薩像が立っています。厨子の両側には十二神将が置かれ、薬師三尊像同様に、町指定文化財となっています。

3 御熊野塚・尼恋塚 壬生町大字北小林

鎌倉時代、朝比奈三郎とともに落ち延びた三郎の家来、熊野五郎と、彼を慕い尼になった「あかね」という娘の墓。尼恋塚は、水不足にこの塚に祈ると雨が降ったと言われることから雨乞塚とも呼ばれています。

4 朝比奈の五輪塔 壬生町大字上田

朝比奈の五輪塔は、上田朝比奈の小高い丘の上に建てられています。朝比奈の五輪塔は上田の五輪塔とともに、鎌倉から室町時代にかけて造られたものであり、町内に残る五輪塔では最大のものです。五輪塔は、上から空輪(宝珠形)・風輪(半月形)・火輪(三角)・水輪(円)・地輪(方形)の五つの部分からなります。傍らには、火輪・水輪の部分を残すもう一基の五輪塔があります。

5 磐裂根裂神社 壬生町大字安塚1772

2月3日に行われる節分祭には祈とうに訪れた参列者に太巻きの「夢福巻きずし」を配ります。宮司が神事を行った後、参列者全員が当年の恵方を向いて太巻きをほおばります。太巻きを鬼の金棒に見立て食べることで、鬼退治をするという意味がこめられています。

6 亀塚古墳 壬生町大字安塚1772

亀塚古墳は、姿川西岸の台地上につくられた前方後円墳です。現在前方部上には社が祀られていますが、近年の測量調査から、墳丘部は当時のまま残っていることが確認されました。

7 戊辰戦役の碑 壬生町大字安塚

慶応4年に起こった、江戸開城に不満を持った幕軍の反抗。安塚の戦いもその一環で、この時に戦死した幕軍34名の霊を弔って、明治13年に建立されました。

8 安昌寺の桜 壬生町大字安塚1978

境内には樹齢130年以上もあるしだれ桜があり、4月上旬より、開花中は夜11時までライトアップされます。昼間とはまた違った印象の景観です。墓地内には、戊辰の役で亡くなった官軍戦死者の墓(官修墓地)もあります。

9 官軍本陣跡 壬生町大字安塚2008-1

慶応4年4月、戊辰の役に官軍の本陣となった島田家の長屋門には、入口右の壁に鉄砲の弾の跡が残っていました。現在、長屋門の扉が無いのは、負傷者を扉にのせ運んだためとも言われています。

10 上田の五輪塔 壬生町大字上田

五輪塔は我が国独自の石造物で古くは平安時代より造られました。もともとは、墓石として造られましたが、後に供養塔として広く用いられるようになりました。近年この地に移築された折、直下より蔵骨器として利用された古瀬戸瓶子が出土しています。また隣接して上田城址があります。

11 中泉寺─巴御前の墓 壬生町大字中泉

中泉寺境内には、武勇をもって知られる木曽義仲(平家物語の中に登場する重要人物)の妻である巴御前の墓とされる五輪塔があります。

12 おもちゃ博物館ととちぎわんぱく公園 壬生町大字国谷2300

楽しさいっぱいの夢世界。魅力のワンダーランドおもちゃ博物館。地底都市あり、SFワールドあり…。SFからファンタジック、メルヘンの世界は、子供から大人まで夢中になれます。博物館隣には、とちぎわんぱく公園。自然豊かな大きな公園で、四季を肌で感じみませんか。

13 おもちゃのまちバンダイミュージアム 壬生町おもちゃのまち3-6-20

バンダイミュージアムでは、原寸大の機動戦士ガンダムやおもちゃの歴史を知る約7,000点のコレクション。世界で5指、日本で最高の質・量を誇るトーマスエジソンの発明品を間近に見ることが出来ます。

その他コンテンツ一覧

  1. 宿泊について

    壬生町のおもてなし

  2. 壬生町観光協会 会員について

    観光協会の入会について

  3. キャラクター

    壬雷ちゃん、壬城苺花ちゃんの紹介

  4. 御城印と御宿場印

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  7. キレイな町フォト

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  8. 史跡散策について

    時代に思いを馳せながら―

  9. レンタサイクル
    サイクリング情報

    壬生の風に吹かれてーサイクリングコース

  10. VRスポット

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